日記に掲載している「さよなら絶望先生」の感想を集めました。(第1話〜12話)




第1話 さよなら絶望先生
第2話 トンネルを抜けると白かった
第3話 その国を飛び越して来い
第4話 ヒジニモ負ケズ ヒザニモ負ケズ/アンテナ立ちぬ いざ生きめやも
第5話 身のたけくらべ/シミと毒だし
第6話 見合う前に跳べ
第7話 仮名の告白/ある朝グレゴール・ザムザが目をさますと神輿を担いでいた
第8話 私は宿命的に日陰者である
第9話 富士に月見草は間違っている
第10話 一人の文化人が羅生門の下で雨やどりしていた/生八ツ橋を焼かねばならぬ
第11話 あれ不可よ 原作があるじゃないかね
第12話 なんたる迷惑であることか!




 第1話 さよなら絶望先生

 ある朝、物事を何でもポジティブに捉える少女、風浦可符香は、桜の木で首を吊っている男を目撃する。思わず男を引きずり下ろす可符香。死のうとしていたと言う男だが、可符香はそれを信じない。そして、可符香は男のことを「桃色係長」と呼ぼうとするが、男はそれを拒否。
 その日の教室で、2人は再会。男は、可符香のクラスの担任教師、糸色望であったのだ。
 さて、それから数日後、教室に入ってきた糸色望は、クラスの生徒に進路希望調査の用紙を配る。だが、「希望なんてない!」と言って、勝手に進路絶望調査を始めるのであった。

 ギャグ作品のストーリーを真面目に説明しようとすると、余計にわかりづらくなってしまう。というか馬鹿みたいだ。それ以前に、元々ストーリーなんてあってないようなものなんだし。
 さて、アニメ第1話は、原作第1、2話をほぼ忠実に再現したものである。後半パートの冒頭に木津千里の性格を説明するシーンが挿入されたり、ギャグが微妙に変わっていたりするなどの変更点はあるが。また、オープニングの吉野家コピペモザイク代わりの顔写真黒板ネタなど、アニメ化して新たに付け加えられたギャグもあった。いきなりブラウン管に吉野家コピペが映し出されたり、映画のオープニングを模したタイトル画面に小さく映倫ならぬ「絶倫」と書かれているのを見たりした時には思わず吹き出してしまったが、それでも、アニメオリジナルギャグ――巨大掲示板によると、スタッフの得意技らしい――より、原作からあるギャグの方が面白いと感じられた。
 そういえば、進路絶望調査の具体例で最初に挙げられた生徒、臼井であるが、原作のそのシーンでは別の人が描かれていたようであったことから、アニメ化に際して準レギュラーキャラの臼井に置き換えられたのだと思った。だが、原作を見てみた所、顔は違うが名前はちゃんと臼井となっていた。連載中に顔が変わったのだろうか?
 そういえば、この臼井、絶望先生に「見た目このクラスではいちばん勉強できそうですが……」と言われていたが、クラス内での順位はともかく、すごく勉強ができるという訳でもないようだ。まあ、原作第6話では、先生に「みなさんには何も期待してませんから」と言われていたし、臼井に限らず、このクラスの生徒はさほど優秀という訳ではないということなのだろう。




 第2話 トンネルを抜けると白かった


 引きこもりの生徒、小森霧の家に家庭訪問に来た糸色先生は、霧の家の前で可符香と出会い、2人で家庭訪問をすることになる。だが、霧は荒れていて、絶対にドアを開けようとはしない。その時、可符香は「引きこもりではなく座敷童だから、むしろ部屋から出さないようにしなければいけない。」と言い出した。なぜかその意見に同調した先生は、可符香と一緒になってドアを釘付けにし、さらに逃げ出さないよう窓を見張りに行く。だが、足を滑らせた先生は、首吊り状態になってしまう。それを見て驚いた霧は、ドアを破壊して逃げ出そうとする。結局、可符香の脅迫まがいの行動先生の言葉によって、霧は引きこもりを脱する。しかし、今度は学校に引きこもるようになってしまった。
 一方、ストーカー少女、常月まといは、その行為がとうとう警察沙汰になったということで、糸色先生の指導を受けることとなった。だが、その途中で、どうしても気になると勝手に元彼の家へと押しかけてしまう。そこに現れた糸色先生。先生は、本当に愛しているなら心中してみせろと言う。だが、それに続く言葉を愛の告白と誤解したまといは、今度は糸色先生に付きまとうようになってしまうのであった。

 前回と同じく、大筋は原作のストーリーを踏襲している。だが、こちらも前回同様、原作では別のエピソードとなっていた木津千里の性格を説明するシーンが挿入されていた。まあ、あの話はそれほど密度の高いエピソードではないように思われるので、こうやって少しずつ別のエピソードの合間に挟むという手法でも問題はなかろう。むしろ、保健室で先生のベッドに転がり込んでしまった千里が変な誤解をするという原作の千里エピソードの締めは、霧、まといという先生を慕って間違った行動をするキャラの話と一緒にする方が面白くなっている。でも、ひどい人に慕われてしまったものだ。
 なお、霧が先生を慕う様子は、少なくとも原作1巻にはなかった。2巻以降で描写されるのか、アニメオリジナルの展開なのかはわからない。でも、先生を慕う霧は可愛い
 さて、先生が霧、まといを改心させた言葉というのは、それぞれ「死にたくなったら、まず先生に言いなさい。」、「先生でよかったら、いつでも一緒に死んであげます。」というものだった。糸色望の性格を知らなければ、特に前者はに生徒を励ます言葉にしか聞こえない。だから、霧やまといが変に誤解して先生を慕うようになるのも無理はない。だが、実はこれらは本当に一緒に死のうという言葉なのだから、厄介なことこの上ない。しかも、霧の時など、先生はわざわざ「ですのうと」と題された手帳を取り出して、心中リストに霧の名前を追加しているし……。
 そういえば、第1話ではオープニングに吉野家コピペが登場したが、今回は「宇宙ヤバイ」コピペであった。来週は「1の母」か? それとも「25歳。去年まで金無し君だったけど……」か?




 第3話 その国を飛び越して来い


 2年へ組に海外組から1人転入してくることになった。転入生の名は木村カエレ。糸色先生の異常さを目の当たりにしたカエレは、先生だけでなく、この国は何もかも変だと主張しだす。だが、逆に「そんなに嫌なら帰ったら。」と言われ、そのショックで別人格、木村楓が表に出てきてしまう。彼女は人格バイリンガル、要するに二重人格だったのである。
 さて、カエレに告訴すると言われ、法廷画になるのは嫌だと学校から逃げ出してしまった糸色先生。代わりに新井先生が出席を取ることになる。だが、関内太郎と呼ばれて返事をしたのは誰も見覚えのない女の子であった。彼女のことを怪しんだ千里は、帰り道こっそり後をつける。なんと、彼女――関内マリア太郎は、関内太郎の出席番号を買った不法入国者だった。

 原作ではばらばらだった2つのエピソードだが、海外からの転入生という共通点から、アニメ版では1つのエピソードとして放送されることになったようだ。なお、カエレのエピソードは原作版とほぼ一緒だったのだが、マリアのエピソードでは、原作に比べてギャグが削られていた。ちょっと残念である。そのマリアだが、原作版よりアニメ版の方が可愛いと感じた。周りの人の庇護欲をかき立てるキャラクターという設定が前面に押し出されていることがよくわかる。
 どうでもいいが、まといがかなり堂々と先生と行動を共にしていたのはちょっと意外だった。親しげに言葉も交わしているし。やはり、ずっとストーキングされているうちにすっかり慣れてしまったのだろうか。
 またまたどうでもいいが、今回のオープニングは第1話、第2話のような2ちゃんのコピペの類ではなく、太宰治の「人間失格」であった。これは意表を突く選択だった。こう来るとは……。




 第4話 ヒジニモ負ケズ ヒザニモ負ケズ/アンテナ立ちぬ いざ生きめやも


 受け持ちの女生徒、小節あびるが父親に虐待を受けているらしいという話を聞いた糸色先生は、早速あびるの家に向かおうとする。そして、その途中で件の父親の姿を見付けた。商店街で買い物をしていたあびるの父親だが、この人は娘を虐待していると思い込んだ先生は、店主にその思い込みを話してあびるの父親を店から追い出させ、さらに商店街のブラックリストにまで載せてしまう。
 さて、先生が公園で休んでいると、生徒が動物園の虎の檻に落ちたという報告を受ける。現場に急行すると、そこには可符香が。虎が可符香に襲いかかろうとしたその時、動物園でバイトをしていたあびるの呼びかけに応え、虎はあびるの許へ。あびるが怪我だらけだったのは、動物とじゃれていたり、尻尾を引っ張って蹴られたりしたためだったのである。
 別の日、国語の授業で教科書を読むように言われた女生徒、音無芽留は、授業を放棄して逃げ出してしまう。それを教室に連れ戻す先生。消極的な子ということで芽留を贔屓しようとする先生は、芽留がメールでなら普通に会話できると聞き、携帯メールを送信する。だが、帰ってきたのは罵詈雑言。さらに、罵詈雑言メールはクラス中を席巻してしまう。そこで、先生は芽留を電波の入らない席に移す。メールが使えなくなった上、カエレに挑発されてどうしようもなくなった芽留は、突然発狂したように謎の言語を喋りだす。そこで、可符香が十字架で殴り付け、芽留をおとなしくさせる。

 エピソードの随所にビリーズブートキャンプのパロディー映像が挿入されていた。正直いらないと思った。
 それを除けば、今回も原作に忠実なストーリーであったように思える。だが、原作に忠実であったことは新たに別の問題も引き起こしている。原作において、芽留はおとなしい少女だが、メールでは口が悪いという設定が明かされたのは第7話。アニメでは第4話の後半に相当するエピソードでのことである。だが、アニメでは第1話から芽留が携帯電話で毒舌メールを打つシーンが流されていた。要するに、芽留が下品なメールを打つという設定は原作未読の視聴者にとっても既知の情報だったのである。それゆえ、今回わざわざエピソードの後半を費やす意味が見出せなかった。
 とはいえ、後半部に全く見る価値がなかったという訳ではない。エピソードの順番が原作と異なる点をフォローした部分――マリアの登場シーン――には笑わせてもらった。マリアが携帯電話を持っておらず、ポケベルを使っていたというシーンだ。おそらく、拾うなりもらうなりして手に入れたのだろう。なお、
ポケベルのサービスが終了したのは記憶に新しいが、このアニメの舞台は2005年らしいので、まだ一応使えたのだろう。
 さて、より面白いと思えたのは前半部、あびるの話だ。原作の段階から面白かったのだから、それに忠実に作られたアニメも面白いのは当然なのかもしれないが。アニメならではの演出としては、虎の目の前で可符香が目を覚ますシーンや、冒頭新井先生が糸色先生にあびるがDVを受けているという噂を話すシーンなどよかったと思った。
 どうでもいいが、あびるの声っておとなしくしている時と興奮した時じゃまるで別人だ。私は声優ネタはあまりやらないのだが、興奮したあびるの声は、そう、例えるならば――「はにほ!」とでも言いそうなものであった。




 第5話 身のたけくらべ/シミと毒だし

 身体測定が行われた日、糸色先生は「見た目の数字など無意味だ。」と、身の丈測定を行う。千里はそれに感銘を受け、クラス中の「身の丈に合わないもの」を排除しようとする。千里の圧政で、身の丈にあった生活をすることがあまりにも窮屈で生きた心地のしないものと思い知った先生は、身の丈を超えた「セレブ死に」を決意する。ドンペリで溺死しようとした先生だったが、ドンペリをけちったため自殺に失敗。「セレブ死に」の費用の請求書に腰を抜かすこととなる。
 さて、商店街の福引で温泉旅行を当てた先生。風呂につかっていると、男湯と女湯の間の壁が倒れた。女湯には教え子たちの姿が。身体測定の結果が芳しくなかったため、デトックス効果のあるこの温泉に来たのだという。それを聞いた先生は、慌てて風呂から上がる。一方、長いことお湯につかってすっかり毒気の抜けた生徒たちは、日塔奈美以外全員模範的な生徒になってしまっていた。事態を重く見た先生は、生徒たちに添加物てんこ盛りの夕食を食べさせ、毒気を取り戻させる。
 すっかり元通りになった女生徒たちは、先生の毒気を抜いたらどうなるのだろうと、先生を温泉に突き落としてみる。すると、先生は小さく縮んでしまうのであった

 前回までの千里は単なる四角四面少女といった印象であったが、今回はそんな千里の狂気が表に出たエピソードであった。以前読んだ原作の別のエピソードでも、千里は流血やら革命やらといった血腥いものに興味を示していた。多分、アニメでも次回以降は千里のそんな側面が描かれるようになるのだろう。
 さて、今回の前半パートのテーマは身の丈に合わせて慎ましく生きるのも、度を超えた豪奢なスタイルもよろしくないということ、また後半のそれは、無闇に毒を抜くとつまらなくなってしまうということ。どちらも、過去何度となく物語の題材に用いられてきた、馬鹿一極まりないテーマである(後半のテーマは「変に繕うより、ありのままの姿がいちばんいい。」というものになることが多いが)。だが、強烈な毒を込めて料理したおかげで非常に面白いものとなっている。やはり、下手にデトックスしてはいけない。特に、こんな世相風刺を重要なテーマとした作品は。
 でも、毒が抜けた女生徒たちの姿も、それはそれで面白いものだと思った。例えばカエレ。毒が抜けると、パンツ見せという属性が失われ、転んでタオルがはだけた時に見せるのは水着ですらないウエットスーツというのがいい。毎週日曜日朝8時30分からテレビ朝日系列で放送しているアニメみたいに異様に健全になってしまっている。
 あと、毒の抜けたマリア。風呂上りに牛乳を飲むという、こちらも非常に健全な姿を披露してくれたのだが、この辺り、どう毒が抜けたのかがよくわからなかった。




 第6話 見合う前に跳べ


 糸色先生が見合いのため実家に帰ったと聞き、急いで追いかける千里と可符香。先生の故郷、蔵井沢に着くと、そこには2年へ組の女生徒が大勢集結していた。皆、さまざまな理由でここ蔵井沢に来たのである。
 糸色家の執事、時田に連れられて先生の実家にやって来た女生徒たち。彼女たちは、旧糸色家の領地内で行われる糸色家伝統の見合いの儀に参加する羽目になる。目を合わせた時点で成立というルールの見合いの儀。だが、先生は誰とも目を合わそうとしない。迫り来る女生徒から逃れた先生は、儀式終了まで蔵にこもっていようとする。だが、蔵にはなぜか霧が。そこで、先生はさらに抜け穴から地下へ入る。そこにも見るプロたちが待ち構えていたが、先生はうまく切り抜けていく。だが、最終的にはそこにいた妖怪百目小僧に見つめられ、気絶してしまう。一方、時田と女生徒たちは屋敷で先生の様子を監視していたが、百目小僧が現れた途端モニターが故障してしまうのだった。

 
第3話で「外で見かけても声をかけないでください。」と宣言していた先生だったが、今回は思いっ切り校外が舞台であった。そういえば、前回の後半も温泉の話だった。また、原作にも校外で繰り広げられる話は無数にある(少ししか読んでいないが)。どうやら、この発言、原作・アニメ共になかったことになっているみたいだ。
 しかし、今回の終盤は異様にオカルトチックな流れであった。可符香は妖気アンテナを立てるわ(鬼太郎か!)、糸色邸の地下に百目小僧が潜んでいるわ、千里は第3の目を開くわ(ぶっちゃけありえない!)……。まあ、元々何でもありだからいちいち突っ込むのも野暮というものか。妖怪絡みの部分は意味がわからなかった……というより何かが狂ってはいたが、今回も話としては充分に面白かった訳なんだし。
 そういえば、今回は場面転換の際の一枚絵や映像が妙に多かったように思える。単行本第1巻に載っていた偽予告編もあったし(先生の「とりあえず そーゆう話ではありません」はなくなっていたが)。この作品、恐ろしいスピードで狂ってきている




 第7話 仮名の告白/ある朝グレゴール・ザムザが目をさますと神輿を担いでいた

 コミケにサークル参加した藤吉晴美が出品している本を見た千里は、起承転結がきっちりしていないやおい漫画に怒り、その場で4コマ漫画に書き直させる。コミケからの帰り道、可符香の言葉がきっかけとなり、藤吉はまんが甲子園に挑戦する羽目になってしまう。翌日、教室でそのための4コマ漫画を描く藤吉。そこに糸色先生が入ってきて、物事は起承転結では済まず、その後に禁断の闇があるのだと語るのだった。
 別の日、女生徒たちは夏祭りに来ていた。神輿の登場で気分も高まる。だが、その時先生が現れ、神輿につられてすぐ踊りだすのは日本人の悪い癖だと語り出す。その言葉通り、目の前では何でも神輿に載せて担ぎ上げ、中身のないブームを作り上げようとする行為が繰り広げられているのであった。

 前半部は藤吉晴美の紹介話でもあり、またストーリー性も高いものであった。起承転結闇というテーマにしても、最後にちょろりと挟まれるくらいであったし。だから、今回の前半部は普通の(あるいはまともな)コメディーアニメを見るような感覚で楽しむことができた。同人誌に関する先生と藤吉の認識の違いとか、普段着が和服であるためコスプレと間違えられる先生などがそうだ。
 一方、後半部分は風刺ネタの羅列が中心となる、いわばストーリーなどおまけに過ぎないものであった。だが、これこそが「さよなら絶望先生」の真骨頂。原作では、初期のエピソードを除いて、このようにお題に沿った風刺ネタを羅列していくという形式が中心となっている。この作品は登場人物が多く、そのためアニメでも人物紹介話で少なからぬエピソードが埋まってしまった。だが、ようやく原作の定番となる形のエピソードを放送できるようになったのだ。まあ、私はネタの羅列という形式に特別思い入れがあるという訳でもないので、キャラクター紹介話もストーリー性の高い普通のコメディー的エピソードも、また今回の後半部分のようなものも変わりなく面白いと思える。
 でも、神輿に載せて中身のないものを祭り上げる大メディアやら取り巻きやらと、それに踊らされる日本人とは、また毒の強いお題だ。しかも、担がれるものが西川女医ハンカチ王子ハニカミ王子ムーディー勝山たむらけんじと、実際にマスコミで大きく取り上げられている人物や事項というのがまた強烈だ。まあ、この作品では特に珍しいことではない。
 そういえば、可符香は奈美のことを「人より飛び抜けて普通」と評していたが、その言葉自体が大きな矛盾を孕んでいるように思えて仕方がないのだが……。
 どうでもいいが、今回はやたらと紙人形劇風の演出が目立った。




 第8話 私は宿命的に日陰者である


 自分が何をしても他人の陰に隠れてしまうことを嘆く糸色先生。その言葉に同意したのは教え子の臼井。だが、先生は自分なんかとは比べものにならない臼井の存在感の薄さに恐れおののき、こんな風になるくらいなら日向を歩く方がましだと言い放つ。それを聞き、臼井はショックを受ける。
 さて、新学期初日、糸色先生は智恵先生に引っ張られて教室に入ってきた。その態度を非難する千里。千里の言葉にショックを受けた先生は、社会に出て非難された時に備えるためと、非難訓練を実施する。そこに入ってきた非難訓練の指導係。指導係は、生徒たちを次々と非難――というか罵倒していく。だが、臼井だけは無視されてしまう。その時、風が吹いて臼井の禿げ頭が露わになった。皆の視線を感じた臼井は、「どうせ薄毛ですから!」と自分で自分を非難する。だが、彼は薄毛というよりどう見ても禿げ。可符香の提案で、ショックが少ないよう、美人の智恵先生に臼井を非難してもらうことになった。

 今回は前半――原作第14話に相当する部分の割合が低く、また原作に存在したギャグも相当割愛されていた。原作では可符香が先生を食ってしまう様子がくどいほどに描かれ、またブラックなオチも付いていた。だが、アニメではそれらが失われていたのだ。そのせいか、面白さもかなり減っていた。また、後半部も面白かったことは面白かったものの、何となくパワーが弱く感じられる話であった。
 後半パート、非難訓練の話だったが、あれはどう見てもいじめの風景である。いじめ問題が大きく騒がれたのはまだ記憶に新しいが、それをギャグ作品のネタにするとは……。実に不謹慎だ。だが、そこがいい
 さて、今回のエピソードで中心的な役割を担っていたキャラクターは臼井である。今回のエピソードに相当する原作のエピソードでは、影の薄さが引き起こす数々の悲喜劇はアニメ版ほど強調されていなかった(私が未読の話できちんとやっているのかもしれないが)。生まれた時から無視され、他人に注目されるのは禿げ頭が露出した時だけ。
 国民的漫画「ドラえもん」には「石ころぼうし」というエピソードが存在する。この話で、かぶった者の存在感を消す石ころぼうしという帽子をかぶったのび太は、人に相手にされない恐怖で最後には泣き出してしまった。だが、「さよなら絶望先生」の臼井は、いわば17年間石ころぼうしをかぶり続けているようなものなのだ。恐ろしい話である。




 第9話 富士に月見草は間違っている


 奈美たちが間違い探しをしていると、先生が教室に入ってきて、人生の間違い探しを始める。
 先生のネガティヴ思考に誘導されて、マリア以外の生徒は自分の人生の間違いを後悔し始め、クラスは一気に暗い雰囲気に。その時、可符香が間違いも発覚すれば正解になると、よくわからない理屈を言い出した。可符香の言葉で自首した犯罪者を見送る先生と生徒たち。その時、先生のことを「父さん」と呼ぶ少年が姿を現した。
 さて、なぜか教室に居座ることとなったその少年――先生の甥、糸色交。だが、先生は、本当にその少年が自分の甥であるかが信じられなくなり、そのことの証明を求めだした。さらに、生徒たちに対してまで本人であることを証明させようとする。だが、逆に自分が本物の糸色望であることの証明を求められた際、自分が自分であることを証明するものがなにもないことにショックを受ける。追い討ちをかけるように、生徒たちから「先生はこんな人じゃない。」と、滅茶苦茶な教師像を突き付けられる。そのため、とうとう先生のアイデンティティーが崩壊。そのまま教室から逃げ出してしまうのだった。

 今回は糸色交の登場エピソードでもあった訳だが、それ以上にマリアがいい味を出している回でもあった。自分の運命を呪うことのない純粋な少女であるマリア。その一方で、関内太郎のプロフィールを完全に自分のものとし、すっかりなり切っている図々しい少女でもある。先生も、本当に関内太郎が関内太郎であるということの証明を求める気なら、調べればわかるような個人情報だけでなく、他の人にしたような質問をしてみるべきだろう。まあ、本物はおそらく先生が性格etc.を把握する以前にクラスレスの身になってしまったのだろうから、他の人にしたような質問をするは無理なのかもしれないが……。
 まあ、要は生徒になりすましている人がいるかもしれないと心配するくせに、本当になりすましているマリアには気付かないという、先生の間抜けっぷりがギャグになっているということだ。
 さて、前半部分。人生の間違い探しということで、臼井は髪の毛、芽留は携帯電話に関する失敗を思い出して後悔していた。そして、あびるの後悔はすべて「あの尻尾を引っ張ったこと」。まあ、尻尾マニアだし。また、藤吉の後悔も、すべて「あのカップリングを描いたこと」。これも予想通り。ホモ見るため生まれた腐った女の子だし。
 そういえば、糸色先生は国語教師なのに、なぜ今回の後半パートでは数学の授業をやっていたのだろう。




 第10話 一人の文化人が羅生門の下で雨やどりしていた/生八ツ橋を焼かねばならぬ


 文化祭が近付きつつあったが、糸色先生は、文化的でもないのに文化人を気取るなと、2年へ組の文化祭への参加を認めようとしない。だが、千里に最低限文化的な生活は憲法で保障されていると抗議されたため、仕方なく「最低限文化的な」出し物での文化祭参加を認める。
 その結果、2年へ組の出し物は、小学校の理科の実験のようなしょぼいものになるのであった。
 さて、別の日、2年へ組はクラス全員で京都に修学旅行の下見に来ていた。下見専用下見寺を訪れた一行は、住職にさまざまな人生における下見を教えられる。続いて、先生は自分の葬式の式場と自分の墓の下見に出かける。だが、それによって予定が狂ったため、千里は怒り狂い、墓石で先生を殴る。一度は昏睡状態に陥り、三途の川のほとりまで来てしまった先生であるが、来世も下見で済ませ、この世に舞い戻ってくる。
 その後、先生は修学旅行の行き先が沖縄となったことを告げるのであった。

 国によって定められた「最低限文化的な生活」のレベルが低すぎて、生活保護を受けている人が困窮に苦しんでいるということが、マスコミによって時々報道される。最近では、年金問題と絡めて報じられることも少なくない。
 そのことを知ってか知らずか、今回の前半部のテーマは、最低限文化的なものであった。相変わらずの微妙な危なっかしさ、不謹慎度合いだ。おまけに、「最低限文化的=これを下回るものは文化の名に値しない」ということだから、例示もこれまた危なっかしい。すぐに画面が切り替わる上、色が薄くて認識しづらいという、今までにも増して見づらい羅列ネタが目立ったのも、ひょっとしたらこの辺りに原因があるのかもしれない。誰の演技力がどうの、歌唱力がどうのといった話題で引き合いに出されるのは実在の人物である訳だし。
 さて、後半は下見の話。何事も下見が肝心という話題から、場合によっては下見だけで終わってしまうことも少なくないとテーマが展開していった。そこで、下見寺の住職が恋愛の下見と称してストーカーの例を挙げた。どうせだったらストーカーつながりということで、この辺りにまといの台詞を挟んでも面白かったかもしれない。当然、その直後に先生が「あなたが言わないでください!」とでも突っ込むのである。




 第11話 あれ不可よ 原作があるじゃないかね


 映画館から出てきた2年へ組の女生徒たち。劇場の前にいた監督に対してつまらないとクレームをつけるのだが、監督は原作通りだから仕方ないと言い訳する。その時、糸色先生が現れ、監督を逃げ道「原作通り」へと導く。
 先生は、生徒たちにさまざまな逃げ道を紹介する。だが、他者に責任を押し付ける言い訳を好まない千里は終始不機嫌なまま。先生は千里をなだめようとするが、その時はずみで千里の胸を触ってしまう。先生に対し、結婚か無視かの二者択一を迫る千里。先生は可符香に連れられ、「神様の言う通り」という通りへ逃げ込む。千里を無視することに決めた先生であったが、逃げ道を進んでいると通り魔に刺されてしまう。
 さて、別の日、いろいろあって先生の家に女生徒たちが集結することになった。こたつで寝転びながら、冬眠したいと言い出す先生。それがきっかけで、千里をのぞく全員で冬眠することになる。だが、千里は自分との関係をきっちりさせるまでは寝かせないと、さまざまな手段で先生の目を覚まさせようとする。
 千里の妨害工作で、すっかり目が覚めてしまった先生。だがその時、先生と千里は突然めまいに襲われる。原因は一酸化炭素中毒。冬眠していた皆は慌てて窓を開け、空気を入れ替えるのだった。
 どさくさにまぎれ、先生は家を飛び出していた。その時、先生は暴れチンチン電車にはねられる。病院に搬送される先生であったが……。

 次が最終回だからなのか、今回のエピソードは、家を飛び出した先生が暴れチンチン電車にひかれるという、あまりにも唐突、あまりにも急な展開で幕を閉じた。この場面に限れば、シリアスめかしたギャグではなく、本当にシリアスストーリーのような雰囲気であった。次回にどうつなげるのか、非常に気になる所である。まあ、最終回の冒頭、何もなかったかのように先生が登場するというケースも充分考えられるのだが。
 さて、今回の前半部は「○○通りだから仕方ない。」と他人のせいにする言い訳を題材にした話であった。その流れに乗って、劇中では先生が、「実は、この『さよなら絶望先生』にも、原作が存在するのです。」といった旨の発言をしていたが、この作品に原作が存在するのは事実なので、ギャグとして成立していないような気がした。小説ではなく漫画だが。まあ、これは原作にもあったギャグだから、ある意味今回のテーマである「原作通り」にぴったりなネタではある。でも、やっぱり合っていない。これ以上原作の存在しない漫画版ならともかく、漫画版というちゃんとした原作の存在するアニメには、どう考えてもふさわしくない。
 テーマに沿ったネタの羅列メインの前半部とは異なり、後半部は、話の流れに伴って羅列ネタが挿入されることはあるものの、比較的ストーリー性の高い、例えるならば初期のエピソードのような展開であった。
 まあ、ストーリー性が高いといっても、当然ながらあくまでギャグ作品の範囲でだが。だから、なぜ霧が先生の家の押入れに入っているのかとかは気にしてはいけない。隙間風が入らないように戸に目張りをし、安らかな音楽を流し、暖をとるために練炭を焚くという行為がどう見ても自殺の準備にしか見えないことにも突っ込んではいけない。まあ、後者は一酸化炭素中毒で大騒ぎという展開につながっているから、そう非難するようなものでもなかろう。




 第12話 なんたる迷惑であることか!


 自分が他人に迷惑をかけていないかが気になりすぎて、気の休まる暇もない女生徒、加賀愛。遅れて教室に入ってきた先生は、そんな加賀の様子を、加害妄想だと説明する。加賀が原因となって、クラス中に加害妄想が伝播してしまった。自分のせいで学級に加害妄想癖が広まってしまったことに罪悪感を覚え、加賀は思わず外に走り出す。たどり着いたのは加害妄想交差点。そこでは、皆が加害妄想に取り憑かれていた。
 さて、なぜかこちらも加害妄想に取り憑かれた先生は、生きていてもこの世に迷惑をかけるだけと、加賀と一緒に自殺する。葬儀の場で、自分のせいで先生が死んだと嘆く女生徒たち。それを聞いた先生は突然生き返り自分が死んだのは自分のせいだと言い張るのであった。
 別の日、先生は目つきの悪い生徒、三珠真夜が悪さを行っているのを目撃する。咎めようとする先生であったが、奈美や可符香に人を見た目で判断してはいけないと言われ、咎めるのをやめる。一方、三珠の悪行はどんどんエスカレート。最後は先生の家を爆破してしまうのであった。

 糸色望、暴れチンチン電車にはねられて生死不明という前回の締め。ちょっとギャグとは考えにくい雰囲気だったため、最終回はどうなるのかと非常に気になっていたのだが、蓋を開けてみると、11話などなかったかのような何の変哲もない始まり方であった。
 前半部は自分が他人に迷惑をかけていないかを過剰に気にしてしまう、加害妄想を題材にした話だ。戦後日本の自虐教育とか、やたら被害者ぶる国が多い中云々という台詞とか、少年漫画にしては多少政治臭が強すぎないかと思えるようなネタがさりげなく織り込まれているのが憎い。自分の行為に過剰に罪悪感を覚えてしまうというのは、結構ありがちなことだと思う。加害妄想というのは多分原作者の造語だろうが、なかなかいい命名だと思った。
 前半部のお題が加害妄想なら、後半部のお題は証拠過多。
 あまりにもあからさますぎて思わず見逃してしまうという、こちらもまた結構現実にありそうな話である。このお題自体も、また、今回登場した悪そうな見た目通り本当に悪い奴というキャラ、三珠真夜も、「人を見た目で判断してはいけない。」という一般論を皮肉っていて面白い。
 さて、あまり最終回らしくないエピソードであったが、とにかく、「さよなら絶望先生」の放送もこれで終わりである。あっという間の3ヶ月だった。だが、同時にとても充実した3ヶ月でもあった。




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